お城情報

名称 | 岩崎城(公式HP) |
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場所 | 愛知県・日進市 |
城地種類 | 平山城 |
築城年代・築城者 | 室町時代後期、織田信秀 |
主な城主 | 織田氏、丹羽氏 |
岩崎城はこれで有名!
小牧・長久手の戦いで主戦場の一つに。ここでの足止めが家康軍勝利につながった!
1583年、犬山城に本陣を構えた豊臣秀吉と、小牧山城に本陣を構えた徳川家康のあいだで、小牧・長久手の戦いが始まります。
戦局が硬直する中、秀吉軍はひそかに、家康の本拠地である岡崎を攻める作戦を立てました。
この秀吉軍が岡崎に向かう作戦のルート上に、岩崎城はあったのです。

当時の岩崎城は、城主・丹羽氏次が徳川軍勢に加わり不在。留守を、16歳の弟・氏重が守っていました。
敵の進軍に気づいた氏重は、進軍する秀吉軍に向かって攻撃を開始。
激しい戦闘の末、氏重は城兵300人余りとともに討死。岩崎城は落城します。
しかし、秀吉軍が岩崎城を攻撃している間に、秀吉軍の三河進軍に気がついた家康軍が、後方から追いかけて攻撃を開始。
後方での苦戦を受けて、秀吉軍もそれ以上進軍することができず、引き返して、長久手での決戦となります。

岩崎城での足止めがなければ、秀吉軍は家康の本拠地・三河まで進行していたかもしれません。
しかし、氏重の決死の働きにより、秀吉軍の三河進行作戦は失敗。
そして長久手では主力武将を次々と失い、秀吉軍は家康軍に敗北したのです。
家康は後に、この戦いについて「一番の戦功者は池田勢を足止めさせた、岩崎城代丹羽氏重である」と言い、兄・氏次に3千石を与えたと言われています。
城めぐりの見どころ
当時の姿がかなり残っている空堀

岩崎城には、最大幅約16m、深さ5mほどの空堀が残っています。
空堀はお城を取り囲むように巡らされていて、一部は中を歩くこともできます。

ぱっと見でもしっかり分かるくらい、堀の形がきれいに残っているよ



空堀の底から上を眺めると、堀の深さが実感できておすすめ!
馬出・櫓・土塁の跡も残っている
岩崎城にあった櫓台は、現在も高台の地形になっていて、上から空堀を見下ろすことができます。


馬出の跡も、広い敷地として残っています。


城の周囲を歩いていると、城を取り囲む土塁の跡も確認できますよ。



そんなに広い敷地じゃないけど、城跡としての地形が結構残ってる!
小牧・長久手の戦いについての展示が充実!展望塔と資料館


敷地内には、天守の形を模した展望塔と、資料館があります。(どちらも入場無料!)
館内では、特に小牧・長久手の戦いについて、各陣営の動きや戦況などの詳しい展示がされています。
5階の展望塔からは、日進市と、長久手・瀬戸方面の景色を見渡すことができます。





訪れる人が少ないから、ゆっくり自分のペースで見て回れるよ
まとめ
岩崎城は、知名度こそ低いですが、小牧・長久手の戦いを語る上で抱えせない、歴史的な意義の大きいお城です。
城跡には、空堀や櫓台など、当時の城の形を残した箇所もあり、なかなかに見ごたえがあります。
お城好きであれば、敷地内を散策しながら、城の形や配置をあれこれ確認できて楽しいですよ!



私が訪れた時は、お散歩中の老夫婦や、家族連れが何組かいたよ



ガイドツアーに申し込んでいる人もいて、歴史好きが来てる感じがした!