【東海道歩いてみた】その2 品川~川崎

目次

どんなルートか

  • ルート :品川宿・品川橋~神奈川・川崎宿・田中本陣跡
  • 距離  :10.5km
  • 所要時間:(私/20代後半女性・体力なしの場合)2時間40分ほど

スタートからしばらくは、ローカルな商店街の中を通ります。

そして3km過ぎた辺りからは、たまに横道に逸れつつ、ひたすら国道15号線沿いを歩くルートです。

見どころスポットは、ゴール直前に渡る六郷橋。

多摩川と河川敷を一面に見渡せて、疲れた身体に感じる風が心地よく気持ち良いです

歩いてみた体験記

スタート・品川宿

2024/10/14、品川宿での休憩を終えて、川崎に向けて出発です。以下の記事からの続きになります。

北品川のカフェを出て、歩き始めたのですが…「品川宿」と表示された商店街、ずっと続きます(笑)

それもそのはず。かつての品川宿は、南北に2kmほど続いてました。

その跡地として、複数の商店街がずっと並んでいるのです。

南品川・青物横丁商店街は、所々「東海道」「品川宿」の表示を見かける以外は、普通の商店街という感じです。

祝日だからか人通りは少なく、ローカル住民の方々がちらほら歩いていました。

鮫洲

かつての品川宿エリアを抜けると、鮫洲商店街に入ります。

まだ商店街ゾーンが続きますね。風景が変わり映えしないので、写真を撮り忘れてしまいました。

鮫のイラストでも載せておきます。

かつては海に面した地域で、鮫が生息していたのが「鮫洲」の由来という説もあります。

東京湾の埋め立てによって、もうこのあたりに鮫さんはいません。

大井

鮫洲の商店街を抜けると、大井エリアに入ります。

少し風景が変わって、静かな住宅街の中を歩きます。

写真を撮ったときは気がつきませんでしたが、きれいなヒマワリが咲いてますね

すぐ東のほうには大井競馬場があるはずですが、特に何も聞こえてきません。

レースの時以外は、競馬場付近も静かなんでしょうか。競馬場に行ったことがないのでよくわかりません。

鈴ヶ森刑場遺跡

少し先に歩くと、鈴ヶ森刑場の跡地に辿り着きます。

江戸時代はここで、罪人の処刑が行われていました。

磔(はりつけ)、斬首、火あぶり、水責めなど、処刑には色んな方法があったよう。

今とは違って、人道的に殺すなんて考えはありませんからね。重罪人になるほど残酷な方法で処刑されたようです。

刑場の横には、お寺もありました。

右側に映る建物が大経寺

処刑された人間を手厚く葬ることは禁止されていたので、申し訳程度のサイズのお寺を横に建てたとか。

怨念が凄そうですからね。魂を鎮める必要があるでしょう。

処刑場がここに設置されたのは、東海道を歩いて江戸に入ってくる旅人への警告、という意図があったそうです。

ようやく江戸に入るぞ、という道中、さらし首や磔の死体が並んでいたら肝をつぶしますね。

江戸をなめんじゃねえぞ、という幕府のメッセージを強く感じます。

大森

鈴ヶ森刑場跡の横を通り過ぎると、国道15号に合流します。

このルートでは初めて、大きい道に出ました。ここまでで40分くらい。

しながわ水族館がある公園の横を通ります。家族連れでにぎわっていました。

と、20分ほどでまた国道から逸れて、商店街に入ります。

このルートは商店街が多いですね。商店街はもうお腹いっぱい感があります。

途中、海苔問屋を何件か見かけました。大森は昭和の頃まで、日本一の海苔養殖産地だったそうです。

海苔養殖自体はもうしていないですが、今では全国有数の海苔問屋街として栄えているようです。

梅屋敷

大森の商店街を通り過ぎると、また大通りに合流しました。

写真を撮るほどでもないですが、他の道との分岐点や合流点は道を間違いやすいので、気をつけて歩きます。

この先に進むと、梅屋敷駅の横を通ります。

初めて聞きましたが、面白い地名ですね。

江戸時代にこの辺りで、和中散という薬を売る商人が、たくさんの梅の木を集めて茶屋を開いていたそうです。

それが「梅屋敷」と呼ばれて、有名だったことに由来しているとのことです。

都内の梅の名所として、歌川広重の浮世絵にも描かれていました。

道沿いにある聖蹟蒲田梅屋敷公園には、今でも100本ほどの梅が植えてあるそうです。

2-3月頃にこの道を歩く方は、ぜひ立ち寄ってみてください。

京急蒲田

梅屋敷エリアを通り過ぎて、京急蒲田駅前につきました。品川を出てから2時間くらいです。

京急蒲田、箱根駅伝で良く聞く名前ですが、勝手に小さな駅をイメージしていました。

ところが実際に見ると、大きい駅どころか、電車が高架上を2層になって走ってるとんでもない駅でした。

参考資料:https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000021336.pdf

地上は、国道15号線と環状8号線という大きい道路が走ってるので、渋滞を避けるため、ここだけ電車を高架上に上げたそうです。

電車も2路線が入り混じってたりと、構造が複雑すぎて「蒲田要塞」なんて呼ばれるそう。

〇箱根駅伝うんちく
2011年頃に線路が高架化されるまでは、国道15号上に京急線の踏切がありました。
15号線は、箱根駅伝のコースでもあります。
タイミングを誤ると、踏切が開くまで選手が足止めをくらう、ということで、今はなき「京急蒲田の踏切」は駅伝ファンの間で有名でした。

六郷

京急蒲田を通り過ぎると、ひたすら15号線沿いを直進します。

特に何もありません。一応写真を撮っときましたが、こんな感じの風景がずっと続きます。

2時間を超えると、足がかなり疲れてきます。

川崎まではまだ1時間ほどあるので、この辺りか、手前の京急蒲田駅での休憩をおすすめします。

私は、近くにあったお洒落な珈琲専門店で休憩しました。(ここ

かなり回復しました。あと40分くらいかな?頑張ります。

六郷橋

ついにきました。江戸時代から続く名所、六郷橋です。

ここを渡った先から、神奈川県に入ります。

何しろ景色が良いですね。見渡す限りどこまでも、多摩川と河川敷が広がっていて気持ち良いです。

風も気持ちよくて、とても晴れやかな気持ちになります。

結構大きな橋なので、渡るのに10分ほどかかりました。

河川敷でのんびりしている人もたくさんいました

…けっこう横風が強いですね。髪がボサボサに乱れるのをあきらめるレベルです。

そういえば箱根駅伝でも、風にあおられながら走る選手の光景をテレビでよく見た気がします。

さて、この六郷橋ですが、歌川広重の東海道五十三次「川崎」の絵にも描かれています。

六郷橋と川崎宿は、セットで描かれることが多いです

洪水によって度々橋が流されたため、広重の時代(江戸末期)は船で川を渡っていたようです。

「六郷の渡し」と呼ばれる名所です。

この浮世絵、一番手前の何も考えてなさそうな男性の表情が良いですね。無って感じで。

当時の男性だったらおそらく、日本橋からここまで1日で歩いたでしょうから(20km)、無にもなるでしょう。

ゴール・川崎宿

橋を渡った先の道の街路灯には、「東海道川崎宿」の文字。

どうやら、もうここからが川崎宿のようです。到着しました!

街路灯には、一つずつ違う川崎宿を舞台にした浮世絵が表示されていました。

宿場町を絵にしたものもありましたが、やっぱり六郷橋の方が風景として人気だったようです。

川崎駅に近づくと、パチンコに居酒屋と、だんだん現代の雑多な都会の雰囲気になっていきます。

こうなるともう、かつての宿場町的な趣きはゼロです。

六郷橋寄りのエリアはまだ落ち着いた宿場町風の雰囲気があったので、せっかくなら手前の辺りで休憩したいですね。

本日はここで終わりとします。次回はここから、横浜を目指していきます。

感想とまとめ

商店街ゾーンは、左右どちらも建物が建っているので、けっこう日陰を歩けます。

一方国道沿いは、時間帯によっては全く日陰がない中を歩くことになります。

気温が高い時期だとかなり体力を消耗するので、国道に出てからはこまめに休みを挟むと良さそうです。

ちなみに、私が歩いたのは14-16時頃でしたが、おそらく午前中であれば国道沿いも日陰だと思います。

日焼けや熱さが気になる方は、朝早くに品川宿を出発することをお勧めします

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