【東海道歩いてみた】その3 川崎~神奈川

目次

どんなルートか

  • ルート :川崎宿・田中本陣跡~神奈川宿・台町
  • 距離  :10.7km
  • 所要時間:(管理人/20代女性・体力あまりなしの場合)約2時間30分

最初の6キロほどは、駅周辺以外は、住宅街・商店街などの比較的小さな道を通ります。

あまり良い感じの休憩場所がない区間もあるので、休憩のタイミングは計画的に。

6キロ過ぎの生麦からは、国道15号に合流。

以降、神奈川宿到着まで、国道沿いを歩いていきます。

歩いてみた体験記

前回は品川~川崎を歩きました。この続きです。

スタート・川崎宿

2024/10/19、本日は川崎宿からのスタートです。気温が高くなりそうなので、 朝早いうちに距離を稼ぎたいです。

かつての川崎宿にあたるこの辺りのエリア、居酒屋!バー!酒と女!のごちゃごちゃ感がすごいですね。

旧宿場町の趣きと誇りは皆無です。早くこのゾーン抜け出したいです。

少し先に進むと、「旧東海道」や「東海道川崎宿」の文字が道沿いに見え始めました。

そういえばこの、ちょっと宿場町を意識した昔風の街灯、川崎駅よりもっと手前のエリアにもありましたね。

駅周辺の居酒屋ゾーンではいなかった気がしますが、また息を吹き返してきました。

川崎、宿場町の雰囲気を出していきたいけど、駅周辺で雑多な現代のビル群に負けた感がすごいです。

八丁畷

少し歩くと、八丁畷の駅前にきました。はっちょうなわて、と読みます。

駅の手前には、芭蕉が俳句を詠んだ記念碑がありました。

右側に映っているのが、芭蕉の句碑

故郷・伊賀(三重県)に帰るため、東海道を歩いていた芭蕉。

この地で門弟との分かれを惜しんで、俳句を読んだそうです。

麦の穂を たよりにつかむ 別れかな

聞いたことがあるような…。有名な句な気がします。わざわざ句碑にまでなってるくらいですし。

正面からの写真も撮りましたが、とんでもなく失敗しました。笑

指で見切れてる黒い石が、芭蕉の句が刻まれた句碑…(右画像)

さて、江戸時代はこの辺り、ずっと田んぼが続いてたそうです。

畷(=田んぼ道)が八丁(約870m)続いてたから、「八丁畷」という地名とのこと。

災害で亡くなった身元不明の人の死体を、まとめて埋葬した場所でもあったそうです。

鶴見市場

八丁畷の駅を過ぎると、しばらくは住宅街のような、少し小さめの道が続きます。

歩道がないので、車が路上駐車してたりすると少し通りにくいですね。朝なので人も車も少ないのが幸いです。

この近くに、箱根駅伝で1区→2区/9区→10区のバトンを渡す、鶴見中継所があります。

箱根駅伝のコースである国道15号は、今歩いてる旧東海道より2つほど外側の道です。

遠回りになりますが、せっかくなので寄っていきましょう。

はい、こちらです。

知らない人からすれば、ただの変哲もない道路でしょう。

でもファンの目には、前選手の到着を待つアンカー、熱い中継、襷がつながらず泣き崩れる選手の姿が映ってます。

〇箱根駅伝うんちく
箱根駅伝は、先頭を走る選手が中継所に到着してから20分経つと、まだ前選手が到着していないチームの選手も、中継所を出発しないといけません。
つまり、先頭から20分以内に中継所に着かないと、選手が肩からかけるチームの襷を、次の選手に渡せないのです。
これが、最下位あたりを走るチームにとっては死活問題。
ここ鶴見中継所では、襷が繋がるか繋げないかも、大きな見どころの一つです。

さて、鶴見中継所も見れたので、元の道に戻りましょう。

鶴見川

鶴見川を渡す、鶴見橋が出てきました。

六郷橋には勝てませんが、大きな川を渡す橋を渡るのはやっぱり気持ち良いですね。

鶴見

橋を渡ってしばらくすると、鶴見駅前に着きました。ここまでで1時間くらいです。

お昼をどこで食べるか迷いますが、まだお腹はすいていません。もう少し距離を歩いておきたいです。

ここはそのまま通過します。

歩いていたら、良い香りがしてきました。綺麗な金木犀が咲いていました。

こういう体験が良いですね。歩くのが、一番ちゃんと周りのものを感じ取れるので好きです。

生麦

鶴見の商店街を抜けて、国道15号にぶつかりました。

が、国道は超えて、また細い道のほうに入っていきます。このコースは今のところ、全然国道沿いを歩きませんね。

国道を超えた先は、非常にローカルな道になってきました。

古びたタバコ屋の店先で、おばあちゃんが居眠りをしています。

小さな店先に新鮮な魚をたくさん並べた魚屋をいくつも見かけました。

この辺りは、魚河岸として知られているようです。

こんな感じで、魚を店先に出している

海鮮が食べられるお店も、探せばあるみたいです。

魚好きの方は、この辺りでお食事も良いですね。

さて、この辺りは、江戸時代の有名な出来事・生麦事件の起こった場所になります。

〇生麦事件とは
薩摩藩の大名行列に出くわしたイギリス人4人が、敬意を示さずそのまま大名行列の中を通過しようとした。これに怒った薩摩藩士がイギリス人をその場で殺傷。
これがきっかけとなり、薩英戦争が起こった。

東海道を南下していた薩摩大名一行と、北上していたイギリス人が道端でぶつかって、起きた事件です。

当時の東海道、そんなに横幅があったとも思えません。

おそらく大名行列が道いっぱいに広がっていて、そこにイギリス人集団が突っ込んでいったのでしょう。

道幅がもっともっと広ければ、そんな大事にはならなかったのかも、と歩きながら想像します。

キリンビール横浜工場

先に進むと、何かものすごく巨大な建物と広い敷地が、左側に広がっています。

巨大すぎて全然上手く写真に収まらなかったのですが、キリンビールの横浜工場でした。

入口の画像だけでも載せときます

工場見学のツアーがあったり(予約必須)、ビアガーデンもあるようです。

川崎を出てから、2時間ちょっと経ちました。

新子安

新子安のエリアに入りました。このルートで、初めて国道沿いを歩きます。

ものすごく疲れてるのですが、完全に休憩スポットを逃してしまったので、仕方なくずっと歩いてます。笑

鶴見駅で休憩しとくべきでしたね。

途中で一里塚を見つけました。日本橋から6番目の一里塚です。

〇一里塚とは
主要な街道上に、一里(約3.9km)ごとに置かれた塚(土盛り)のこと。旅人の道しるべだった

ボロボロの建物?の壁にとりあえずって感じで貼ってありましたw

子安

ひたすら国道沿いを歩きます。風景も特に変わり映えしません。

国道は、日陰が全くない時間が割とあります。直射日光の中歩くのが、一番体力を消耗します。

ちなみに、ようやくお昼休憩を取りました。(ここ

本当に歩き疲れてると、日本人のDNAが目覚めてきますね。丼もの一択です。

ゴール・神奈川宿

ひたすら国道沿いを歩いていたら、出てきました!ゴールの神奈川宿です。

標識がたっているだけで、それ以外に宿場的要素は何もありません。普通の国道の風景です。

ゴールに着いた感じが全然なくて、少し寂しいですね。

では、歌川広重の東海道五十三次、神奈川の浮世絵を見てみましょう。

絵の右側で、旅籠の女性がかなり強引に旅人を連れ込もうとしてるのが、面白いですね。

奥の男性は何となく弱腰なので、そのまま押し切られて店に連れていかれそうです。

当時の宿場町の客引きは、本当にすごかったみたいですね。東海道中膝栗毛にも描かれてました。

女「もし、お泊りかえ」と、引き取らえて、引っぱる。

旅人「これ手がもげらあ」

女「手はもげてもようございます。お泊りなさいませ」

旅人「ばかあ言え。手がなくちゃあ、おまんまが食われねえ」

女「おめしのあがれねえほうが、お泊め申しちゃあ、猶勝手さ(好都合さ)」

(東海道中膝栗毛ー保土ヶ谷宿)

広重の絵を見る感じ、神奈川宿もこんな雰囲気だったのでしょう。歌舞伎町のキャッチなんか目じゃないですね。

さて、本日はここまで。次回は保土ヶ谷・戸塚を目指します。

※10/20追記:すみません、この日ゴールと思い込んでたのは、神奈川宿の本陣跡でした。

左の地図の青ピンが本陣跡

翌日、神奈川宿のもっと先の辺りを歩いたら、色々と史跡や案内板が出てきました。

次の記事で紹介します。この表示以外にも神奈川宿の見どころはあるのでご安心ください!!

感想とまとめ

スタートから3.5km辺りの鶴見駅を過ぎると、7kmの子安駅まで、しばらく住宅街メインのローカルな道が続きます。

休憩に良い感じのお店やカフェが見つけにくいので、いったん鶴見駅での休憩をおすすめします。

海沿いで海鮮が名物のエリアなので、生麦の魚河岸か子安あたりで、新鮮なお魚を食べるのも良いですね

品川宿の史跡や案内板は、神奈川駅を超えた坂道から続きます。

終わりまで行くと、少し駅から離れてしまいます。ここで一旦帰宅する方は、品川宿の史跡巡りを次回にするのが良さそうです。

目次