どんなルートか
- ルート :保土ヶ谷宿・本陣跡~戸塚宿・内田本陣跡
- 距離 :9.1km
- 所要時間:(管理人/20代女性の場合)約2時間20分
保土ヶ谷宿を出てしばらく歩くと、江戸時代から難所として知られた、権太坂に差し掛かります。
急こう配の坂を上ると、しばらく住宅街。そしてまた、急こう配を下っていきます。
平地に戻ってきたところで、ルートは半分くらいを経過。
その後は、国道沿いと小さめの道を行き来しながら、戸塚宿を目指します。
歩いてみた体験記
スタート・保土ヶ谷宿
2024/10/20、保土ヶ谷宿を出て、戸塚に向けて出発です。以下の記事からの続きになります。
と言っても、しばらくはまだ保土ヶ谷宿のエリア内です。宿場は広いですからね。そう簡単には通過できません。
保土ヶ谷駅からは離れてきましたが、また道沿いには史跡の案内板が続きます。
本金子屋という旅籠跡の横を通過しました。
明治に建て替えられたということですが、当時の旅籠の雰囲気を残した建物がそのまま立っています。
中には入れませんが、外観だけでも、宿場にはこういう建物が並んでたんだなぁと想像できて良いです。
2階の格子の感じとか、映画やドラマで見たことがある気がします。
飲めや歌えやでガヤガヤ騒々しかっただろう、当時の様子が頭に浮かんできます。
先に進むと、なんとまた、東海道を歩く人用の休憩スポットが出てきました。
中を覗くと、地元の?おばあちゃんやおばさまたちが談笑中です。
人見知りなので、人がいると一気にハードルが上がります。寄らずに通過してしまいました。
後から調べたところ、資料やパンフレットを置いてたり、東海道グッズも売っていたようです。
頑張って、中に入っても良かったかもしれません。
さらに進むと、一里塚跡が出てきました。
知識不足すぎて、左の松と右の竹木、どっちが一里塚跡なのかよくわかりません。たぶん左の松です。
右は、上方見附跡のようです。
かつては、この辺りから先、戸塚に向かって3kmほど松並木になっていたそうです。
昭和の頃になって消えてしまったこの松並木。平成時代に復興事業で、当時を再現した松を植え直しました。
こうやって、少しでもかつての東海道を再現してくれると、歩くのが断然楽しくなります。
消えゆく歴史の跡、逆にそれを守ろうとする地元の思い。東海道を歩くと、色んなものが感じられます。
保土ヶ谷・西
さて、ルートは国道をそれて、狭い横道に入ります。ようやく、保土ヶ谷宿のエリアを完全に抜け切りました。
特に感想はありません。道端に、綺麗なコスモスが咲いています。秋ですね。
権太坂
もう少し先に進むと、いよいよ来ました。急なこう配で知られる東海道の難所・権太坂の入り口です。
横を走ってる国道も、少しずつ上り坂になってきてるのですが、これから行く旧東海道のほうは、その比ではありません。
画像だと伝わらないのが残念ですが、肉眼だと、目に見えて急激な坂が続いてます。
入口から、前評判通りの激坂ぶりに、不安とワクワクがとまりません。
坂を上る前に休憩を取ろうと決めていたので、この先のドトールで一旦体勢を整えます。
調べた限り、権太坂入口から一番近いカフェが、徒歩2分くらい先にあるドトールでした。
坂に入る直前で一旦休んで、気力を蓄えるのは個人的に大正解でした。(気持ち的にも余裕が生まれます)
…では休めたところで、今度こそ出発です。
かなりの急傾斜。とにかくテンポ良く、どんどん上っていきます。
こういうのは、休憩しながらダラダラゆっくり歩くと、むしろ疲れる気がします。
この権太坂、名前の由来がなかなか面白いです。
ある時、旅人が道ばたの老人に坂の名前を聞いたところ、耳の遠いご老人、自分の名前を聞かれたと勘違い。
「権太」と名乗ったのが、坂の由来になったそうです(笑)
旅人、何も疑問に思わず、「権太って坂がやばかったんだよー」と故郷でお話したんですねw
さて、上っていて驚くのが、この傾斜の上に、かなりの数の住宅やアパートが立っています。
普通に地元住民の方が坂を上ってますし、しばらくしたら高校も出てきました。
私は平地に住んでいるので、毎日の生活圏がこんな急な坂というのは、なかなか想像がつきません。
住んでみれば、意外と気にならないものなんでしょうか。
上って、上って、、、。
坂が緩やかになってきました。この先はしばらく、平地のようです。
上り坂がきつかったのは、10分もなかった気がします。身構えていた分、ちょっと拍子抜けです。
今でこそ、案外上れちゃうな、くらいの感覚で済んでいますが、当時は人が死ぬくらいです。くらべものにならないほどきつかったんでしょう…。
さてさて、しばらく住宅街の中を歩くと、今度は下りに入ります。
こちらの坂は、焼餅坂(別名・牡丹餅坂)と呼ばれています。
坂道の横の茶屋で売っていた牡丹餅が名物だったのが由来だそうです。
歌川広重の弟子、二代広重の作品でも、焼餅坂と茶屋が描かれています。
下って、下って、、、と思ったら、なぜかまた上り道。どういうこと…。
どういう地形なのかよくわかりませんが、上ったり、平坦な道になったり。
と、一里塚が出てきました。
相変わらず、一里塚というのがどれなのかよくわかりません。
が、見上げているうちに気がつきました。もしや、このこんもりしているの全部が、一里塚なのでは??
私、実はずっと、一里塚って1m×1mくらいのこんもりした土盛りを想像してました。
なので、歩いてても絶対見落とす気がするんだけどなあ、と考えてました。
案内板には、約9m×9mと書いてあります。見落とすわけありませんね…汗
こちらは東海道中でも数少ない、ほぼ当時の形で残っている一里塚です。実物が見れると本当に勉強になりますね。
先に進みます。狭い住宅街を歩いていると、果樹園が出てきました。
この辺りであれば、上からの眺望が見えるかもしれません。
うーん、なんとも微妙ですね。
江戸時代は、権太坂を歩いていると富士山が見えたということでしたが。
ここまで歩いてきて、東海道沿いに見晴らしの良いスポットは見当たりませんでした
品濃坂
さて、少し進むと、最後の坂・品濃坂が出てきました。
私は江戸方面から歩いてきたので、権太坂の上りが大変でした。
でも逆方面から歩いてくる人の場合は、この品濃坂と先ほどの焼餅坂が、きつい上りになりますね。
と…。
なんだこれww 思いがけない分岐に笑っちゃいました。
看板の先は急な階段、そして歩道橋へと続きます。
歩道橋を降りると、また少し下り坂に入って、、久しぶりに平地に戻ってきました。
坂を上って降りてきて、ここまでで1時間半ほどかかりました。
国道・県道沿い
ここから先は、基本的に国道・県道沿いを歩いて戸塚まで向かいます。
道中、色んな案内板や史跡を見かけました。
ちなみに、先ほど権太坂を上ったところでも見かけたのですが、こんな散策地図が道中に置かれています。
ネットであれこれ調べるより、こういう町中に置いてある地図を見るのが一番わかりやすい気がします。
戸塚も、東海道を歩く人用の案内板や標識が充実していて、好印象です。
ただ、一つ勘違いしていたことが…。
先ほど品濃坂を下ったところで、「旅人には宿場町まであと一歩のところです」と書かれてたんですよね。
もうあと10分くらいで着くものと思ってたんです。実際にはそこから1時間以上かかりました(笑)
もうすぐそこがゴール、と思ってたのが、実はまだずっと先だと、ものすごく疲れがきますね。
ゴール・戸塚宿
ともあれ、何とか戸塚宿の江戸方見附跡につきました。
ここが宿場の入り口なので、一応ゴールということになります。中心地はまだまだ先ですが。
ここまでで、保土ヶ谷宿からは約2時間でした。
さらに進むと、大橋、という橋が出てきました。
こちらの橋が、戸塚宿を代表する場所の一つ。
広重の東海道五十三次にも描かれています。(というより、広重の絵に描かれてから、人気の場所となったのが正しいようです)
絵に描かれている茶屋は「こめや」。米を使った餅菓子で有名だったそうです。
ちなみにこの浮世絵、後のバージョンでは、結構大きく絵が変わっています。どこが変わったか、わかりますか?
左側の、馬を降りる男性にご注目ください。明らかに向きが逆になっています。
どうしてこのように絵を変えたのかは、色んな議論がされているみたいです。
ある方がブログで「最初の絵の感じで馬を降りるのは無理なので、より自然な降り方に変えた」説を唱えていました。
個人的にはこれが一番しっくりきます。最初の絵、どうにも体勢がおかしいと、見たときから思ってました。
さて、大橋を過ぎると、戸塚の駅に到着です。
東海道とは何も関係がないのですが、ここ戸塚にはかつて、有名な「開かずの踏切」がありました。
踏切を通過する列車の本数・頻度が非常に多く、ピーク時は、1時間のうち57分閉じていたそうです。
箱根駅伝のランナーはここで足止め。
大磯に住む吉田茂元首相は、この踏切に業を煮やして、今では「吉田道路」と呼ばれるバイパスを通したとか。
住民は心底迷惑だったでしょうが、いざなくなる、となると、むしろ寂しく感じるものですよね。
「思い出の戸塚大踏切」と、良い感じに過去の歴史としてまとめられていました。
さて、あまり戸塚宿の話をしていない気がしますが、本日はここまで。
次回はもう少し戸塚を見て回ってから、藤沢を目指します。
感想とまとめ
権太坂は厳しい坂と言うことで有名ですが、実際には15分ほどで上りきれると思います。
勾配こそ結構ありますが、めちゃくちゃ距離が長いというわけではありません。
個人的には、坂を下ってからの平地のほうがきつかったです。
坂道で気合を入れていた分、平地に入って気が緩んだ+思っていたより結構距離があったのが、原因な気がします。
難所を超えても、気合とエネルギーが途切れないように!がアドバイスです