【東海道を歩く】初心者向けルート案内 #52大津~三条大橋

目次

ルート情報

どんなルート?

ルート大津(本陣跡)~三条大橋
距離10.6km
所要時間2時間40分(時速4km、休憩なしで)
難易度★★☆
  • 滋賀から山を越えて、京の都に入るルート
  • 江戸時代は、大津の港に荷揚げされた物資を京に運ぶ、牛車の行き来も多かった
  • 当時のこの区間の二大難所は、逢坂峠と日岡峠。日岡峠は今でもかなりの坂道で結構きつい

江戸時代の東海道で唯一、歩道とは別に、牛車用の車道が設けられていた区間

京の玄関口なので、当時は人やモノの移動も多くて賑わっていたよ

三条大橋付近は京都の一大観光エリア。周りには、お店や観光スポットがたくさん!

ルート沿いの駅

スクロールできます
大津から駅(京阪京津線)ルートから駅まで駅(東西線)ルートから駅まで
1.8km大谷1分
3.4km追分5分
4.6km四宮1分
5.3km京阪山科2分山科2分
7.0km御陵4分御陵4分
8.8km蹴上0分
9.9km東山0分
10.4km三条京阪0分

道沿いスポット

大津からスポット名
1.6km逢坂の関跡
2.2km大津算盤の始祖・片岡庄兵衛の碑
2.2km月心寺
7.3km日岡峠
逢坂の関跡

平安時代に「逢坂の関」という関所があった(とされる)場所。

東海道・東山道という2つの街道の通り道にあり、都の出入り口に置かれた、交通の要として重要度の高い関所でした。

都を離れる人々を送別する場所として、平安時代の様々な文学や和歌に登場します。

百人一首では、3つの句で逢坂の関が出てきます。

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関(蝉丸)

名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな(三条右大臣)

夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ(清少納言)

逢坂の関は、古代日本で特に重視された3つの関所(=三関)のうちの一つ!

残りの二つは、不破の関(岐阜)と鈴鹿の関(伊勢)だよ

大津算盤の始祖・片岡庄兵衛の碑

大津算盤を開発した、片岡庄兵衛の店があった跡。

片岡は、長崎に渡って学んだ中国の算盤を日本人向けに改良し、大津算盤として完成させました。

その後、片岡は幕府御用達の算盤屋として指定を受け、

「算盤といえば大津、大津といえば算盤」

と言われるほど、江戸300年のあいだ、全国にその名をとどろかせました。

江戸時代、この辺りには算盤の製造業者や職人が集結していた、日本随一の算盤生産地だったよ!

明治以降、手作業で作る大津算盤は衰退していき、今では姿を消してしまった…

月心寺(げっしんじ)

江戸時代に、東海道随一とも言われる賑わいをしていた走井茶屋の跡に建てられたお寺。

○走井茶屋
この辺りは古くから、「走井」と呼ばれる清らかな名水が湧き出ることで有名。
その名水を使ってついたお餅が名物の茶屋が、かつては街道沿いに立ち並んでいました。

歌川広重「東海道五十三次の内 大津 走井茶店」
絵の左に、走井茶屋と湧き出る水が描かれている

境内では現在も、走井の水が湧き出ています。

中を見学するには、10名以上での事前予約が必要。予約をすれば、精進料理もいただけます。

日岡峠

江戸時代には、このルートで逢坂峠と並ぶ難所だった峠道。

当時は雨が降ると地面がぬかるみ、牛車の通行が困難だったため、車道には石が敷き詰められていました。

これは車石と呼ばれ、このルートのあちこちで道端に置かれています。

※車道は、日岡峠に限らず、この区間の全体に渡って敷かれていました

車石

ルート付近の観光スポット

大津から観光スポット名ルートからスポットまで
0.4km関蝉丸神社下社0分
1.1km関蝉丸神社上社0分
1.7km蝉丸神社0分

京都周りは、ここで紹介しきれないほどたくさんの観光スポットがあるので省略!笑

蝉丸神社

平安時代の歌人・蝉丸を祀った神社。

3つの神社はいずれも蝉丸を祀っていて、合わせて「蝉丸神社」と総称されることもあります。

蝉丸は百人一首の歌で有名ですが、盲目で琵琶の名手という逸話でも知られています。

そのため、音楽芸術の上達を願う人は特に、参拝がおすすめです。

関蝉丸神社下社は、踏切を渡って参拝
蝉丸神社

各地点の風景

大津

山に入っていく

傾斜は緩やか

逢坂の関/傾斜がないので峠越えの実感がない

うなぎ店が並ぶここだけ賑わってる

追分

山科/商店街には山科なすの飾り

日岡峠/細い道でかなりの傾斜

峠を上りきると、今度は下り

下りきると、京都中心街へ

この辺りからは観光客だらけ

三条大橋/人いっぱい

ルートQ&A

ルートで迷いやすい場所はありますか?

特にないと思います。

目次