旧吉田茂邸ってどんなところ?
東海道を大磯から小田原に歩く途中に、「旧吉田茂邸」という観光スポットがあります。
ここでは、戦後日本の復興に大きな役割を果たした元首相、吉田茂が晩年を過ごした邸宅とその敷地内に入ることができます。
- 邸宅は、近代数寄屋建築(日本の伝統的な数寄屋造り×モダニズム)で有名な吉田五十八が設計。
大磯の雄大な自然と日本的な家作り、そしてモダンな華やかさが融合した建物は、一見の価値があります。
- 敷地内には、日本庭園や松林、バラ園。邸宅2階からは大磯の海と富士山が一望できます。
吉田茂に興味がない人も、自然と景色を見て感じるだけで楽しい場所です。
- 館内には吉田茂の蔵書や肉筆、展示物があります。
戦後を作り上げた政治家の一人である、吉田茂の人となりを感じることができます。
東海道のコース沿いにあり、このエリアで最も眺望が良い場所の一つでもあるので、東海道を歩く際は、立ち寄るのがおすすめです!
行ってきたレポ
2024/11/17、東海道を大磯から小田原に歩く途中で、旧吉田茂邸に寄ります!
旧吉田邸は、大磯城山公園の南エリアにあります。
北エリアにも、茶室や遊歩道、展望台など色々あるようですが、両方見て回るとかなり時間がかかります。
今回は南エリアだけ寄っていきます。
いざ、吉田邸へ。入口にはガイドさんが座っていました。
100円で、庭園の案内をしてもらえるそうです。
さて、中に入ると、見事な日本庭園が広がっています。
日本庭園がきれいなのはもちろんなのですが、入った瞬間はそれよりも、吉田邸のほうに目が行きました。
邸宅の背後に、もりもりと緑の山がそびえているんですよね。
日本庭園・家・背後の山、がセットで視界に飛び込んできて、自然を生かした贅沢な風景に圧倒されました。
もりもりの山が背後にあることで、大磯の自然の雄大さと力強さがより感じられます。
個人的にはここが、すごく大事なポイントだと思いました。
邸宅の中に入るため、道を進みます。
と、サンルームが出てきました。…サンルーム??
サンルームとは、天井や壁などをガラス張りにして、太陽光がたくさん入るよう設計された部屋です。
こちらは外観のみで中には入れませんが、当時は吉田茂邸の食堂と廊下で接続されていました。
周りの風景がこれだけ良いからこそ、サンルームも気持ちが良いですよね。
都会の真ん中にサンルームを作るのでは味わえない、贅沢な空間だっただろうと思います。
さて、石の階段を上ると、邸宅の入り口に着きます。
邸宅の入り口から左側に目線を向けると、サンルームと、もりもりの山が背後に見えます。
吉田邸は少し高台に建てられています。
邸宅の入り口から見た景色はこんな感じです。
では、邸宅の中に入ってみましょう。
庭園は無料で見て回れますが、邸宅に入るには入館料510円がかかります。
受付のお姉さんが入口で親切に下駄箱などを案内してくれました。
館内コースを進むと、まず最初に見るのは応接間。
私はこの最初のインパクトで度肝を抜かれました。
ちょうど紅葉の時期ということもあり、入室したときに目に飛び込んでくる自然の鮮やかさが凄いです。
ここは吉田茂が客人と談話する応接間で、昭和54年には大平首相とカーター大統領の日米首脳会談もここで行われたそうです。
何事も第一印象が大事と言いますから、最初に客人をあっと思わせるような設計にしたのでは、と感じました。
私は事前知識ゼロでここに来たため、正直そんなに期待していなかったのですが(失礼)、これを見て考えを改めましたね。
階段を上って、2階に上がります。
2階は書斎です。限られた身内以外は許可なく入れない、プライベートな空間でした。
本棚には吉田茂の蔵書が飾られていました。
図書館や古本屋でしか見かけないような、○○全集、○○史、といった重厚な本。
その合間に、文学やスポーツ、料理関係の本も並んでいます。
本棚はその人を表す、と言いますが、吉田茂の教養の深さと幅広さが伝わってくるラインアップです。
充実した人間性が伝わる本棚、本当にあこがれます、、、。
他にも、この部屋には当時、首相官邸に直接繋がるダイヤルのない黒電話が置かれていました。
(あまりにも大物政治家すぎる…)
1階に降りて、次は食堂です。
ここまで来客用にお部屋が整備されていたら、どんな賓客が来ても対応可能ですね。
一個人の自宅で日米首脳会談、というのが信じがたかったのですが、納得です。
むしろ、来客でもなかったら大きすぎて、私なら持て余してしまいそうな空間の広さです。
コースはまた2階に上がって、金の間へ。
この金の間、とにかく眺望が良くて、入った瞬間に「おお!」と声が出るほどです。
向かって正面の窓は大磯の町と富士山、左の窓は相模湾が見渡せます。
この部屋からの富士山の景色は、吉田茂のお気に入り。
死ぬ前日に「富士山が見たい」と言ってこの部屋から一日中眺めていたのが、公式に残っている最後の言葉です。
ただ立派な家を建てたのではなく、家の作りを満喫して暮らしていたことに好感が持てます。
家の作りを見ても、日本的な簡素さと美に対して理解のある、センスのある人だったんだろうなあと感じます。
隣の部屋は、寝室(銀の間)でした。
これで、邸宅の中は一通り見て回りました。ゆっくり見ても30分くらいですかね。
さくっと見る人なら10-15分くらいで回れちゃうと思います。
ですが、吉田邸は家だけではありません。敷地が広いのです。
バラ園から池、奥には竹林・松林もあります。
全部見て回る時間はないので、南側の階段を上った先にある銅像だけ見てきました。
(別に興味はなかったのですが、庭園の奥の階段を上ってみたら辿り着いたので、、)
この銅像、正面から見るとけっこう圧巻なんですよね。
大磯の海と西湘バイパスを背景に、「私が日本を作りました」という風格の笑顔です。
別に西湘バイパスは吉田茂が作った道路ではないですが、吉田茂の一声でとある道路の建設が決まったというエピソードも持つ人物。
なんとなく、私がこの景色を作り上げました、みたいな偉大さを感じます。
戦後日本を築き上げ、死後は最高の眺望の場所に立派な銅像を立ててもらう、吉田茂の偉大さを図らずも感じました。
さて、旧吉田邸の散策はこれでおしまいですが、庭園内に休憩所があるので一服していきました。
実はこのお饅頭、吉田茂が生前ひいきにしていた、大磯駅近くの和菓子屋「新杵(しんきね)」の虎子饅頭なのです。
東海道のコース沿いにお店があるので、ここに来る前に買ってきました。
ちなみにここの名物は、こしあんで包んだ「虎子饅頭」と、もう一つは「西行饅頭」。
こちらは明治の文豪・島崎藤村の好物だったそうです。
西行饅頭も以前食べたのですが、だいぶ甘味が強くて、お抹茶と一緒に食べる和菓子のような印象を受けました。
私は虎子饅頭の方がスタンダードな美味しさで好きでした。
では引き続き、東海道を歩きます!続きはこちらで。